それからは、
毎日悔いのないように船を漕ぎ、何事もなく過ごしていました。
また当時は、乳がんに関する情報も今のようになく、生存率のパーセンテージだけを気にしていました。
ところがある日、
ジムでバーベル運動をした後、シャワーを浴びようと思ったら、
下腹部の右側にポッコリとした膨らみを発見!
その膨らみを手で押すと凹む。
ヌヌヌっと妙な予感は、あったけど
病院へ行ったら、やはり鼠径ヘルニアと判明し手術となりました。
乳がんから、二年も立たないうちに。
きっと、腹筋もしっかりついていないのに重たいバーベルを頑張って持ち上げたからでしょう程度のものでした。
乳がんになるまでずーっと、健康で風邪も殆どひくことのなかった私が二度目の入院と手術。
でも、がんとは全く関係のない病気でほっとしたのを記憶しています。
それと、鼠径ヘルニアになった理由が理由なだけにかっこ悪くて人には言えませんでした(笑)
今思えば、鼠径ヘルニアは「無理をしないでね」と言う、私の体へのメッセージだったのにそんな自分の体に向き合わずにいた私でした。
なぜなら、
頭の隅にはいつも、「いつ再発するかもしれない、だから、一生懸命生きよう。」
そんな思いが強かったから・・・
でも、
“~するかもしれない” “だから~”とう思考が言語がその後の私への病気につながった。
問題回避で生きていた私でした。
これでは私の潜在意識(無意識)に良い影響を与えることはないです。
心理学者の『ジークムント・フロイト』は、普段の思考、意思決定、行動は、無意識の影響を受けていると、語っています。
そんなことを氣にすることもなく、大好きな仕事を一生懸命に問題回避型で走り出したのです。
また、フォストファミリーも再開し、韓国人、フランス人、アメリカ人、メキシコ人、イタリア人、台湾人など受け入れていました。
これは、民間ボランティアの志しと、少しは英語の勉強になるかもということから始めたことでした。
でも、全員が英語を話せるホストドーターではなく、大変だった子もいました(笑)
なぜかわからないけど、地球に産まれたたった一人の人間として前を向いてしっかり生きようと私の意識が変わりはじめた頃でもありました。
女性であることの前に人として、他の人が笑顔になってくれるならと、私ができる世の中への貢献にシフトし始めたのでした。
今なら、氣づけることがたくさんあります。
それは、
「無理をしないでね」という体が黄色の信号を点滅させていたこと。
女性であることを意識せず頑張っちゃうこと。
それは、
女性であることを意識しなくなると、女性が持っている臓器などに疾患がおよぶこと。
また、私の癖が抜けなくて”ポジティブに楽しい”から忙しく充実した毎日を過ごそうと動いていたこと。
好きだから~したい。
やりたいことをやりたいから~したい。
私のゴールは不明確で浅い思考で動いていたのでした。
この思い、この言葉の裏の意図を氣ずくことすらなかった私。
例えば喉が痛い時は、どうして喉が痛いのだろう?
「言いたいことが言えない自分がいたからかも、自分を表現できないでいるのかも」今なら、そんなことに氣づけます。
足の怪我だったら、「会社に行きたくないのかも、学校に行きたくないのかも」など、自分の中で答えをだすと自然に治癒する。
特に、軽い風邪や怪我は、一番わかりやすい症状だと思います。
そうやって、自分の体と向き合うことを疎かにしてると大変なことになってしまうことを身を持って実感しています。
continues・・・