乳がんになるまでの日々は、仕事をしながら、ジムに通い、英会話を習い、洋裁を習い、社交ダンスを習い、パン、ケーキの教室に通い、本当に忙しい毎日を過ごしていました。
私のスケジュール帳は、真っ黒でした。実際には、色分けしていたのでカラフルで隙間がありませんでした。
好きなことを精一杯、忙しく過ごすことが私の理想の姿でもありました。
パンとケーキのライセンスを急ぐように取得しました。これは、あくまでも趣味の範囲でした。
自分で焼いたパンの香りが家中に広がり、自分の手でパン生地を捏ねている自分が“無”になっていることを知りました。こんなにα波が出るリラックス状態になるなんて、なんて素晴らしい幸福感なのかと思ったものです。
そして、知り合いに焼いた手作りのパンやケーキを持っていくと「わぁ~ 凄い!」と、当時は、言われた頃です。今は、普通に、手ごねパンを焼く方が増えていますがその頃は、まだ珍しかった頃です。
この感覚を伝えたい、この喜びを知って欲しい、お料理ができなくてもパンなら、焼けると思ったからです。
これが、自宅リビングでアットホームな教室を開こうと思ったきっかけでした。
それから、
教室の準備、かっぱ橋へ道具の買い出し、また当初は、慣れないパソコンでレシピを作り、試作を繰り返してるうちに、ぎっくり腰ならぬぎっくり首になりました。まったく、首を動かせなくなったのです。
集中力が凄い私は、なんでも一気に終わらせようとした結果ですね。
完璧主義な私は、すべて準備して開催しようと思っていましたが、どう考えても無理。
やり方を改め、後は、やりながら進めて行こうと思い、主人の協力のもと、自宅で開催することができました。
人に伝えられる喜びがなによりも嬉しい反面、生徒さんが集まるかどうか不安も背負っていました。
当初は、ホームページなんてなかったですからね。
知り合いのお店に手作りちらしを置いてもらったり、電信柱に張ったり、区報に掲載してもらったりの試行錯誤でした。
それから三ヵ月も立たないうちに乳がんがわかりました。
そして、部分摘出の手術をし、35日間放射線治療もしました。
私の放射線治療への姿勢は、毎回、黒い岩が崩れていく映像をイメージして受けました。
それから、ノルバッテックスというホルモン剤を5年間服用しました。
ノルバッテックスは、ありがたいことに副作用がありませんでした。
さらに、生理を止める、ホルモン注射もしました。
私の場合は、体に合わず、頭の先から足先まで蕁麻疹がでました。
でも、顔には幸い出ませんでした。
ホルモン注射の薬が抜けるまでの一ヵ月は、痒さとホットフラッシュの闘いでした。
でも先生は、もう一度試してみましょうと言われ、一ヶ月後、また注射しましたが、結局、同じ症状にになりホルモン注射は止めることになりました。
生理を止めてまもなく更年期障害になるとは思いもよりませんでした。
更年期障害って、こういうことなんだと学びました。
でも、このトラウマが後に卵巣がんになるとは思いませんでした。
卵巣がんのお話しは、後半にします。
私は、自分に背いていることをやってしまったから乳がんになったのかと
なんどもなんども考えました。
でも、答えなど出ませんでした。
そして、エネルギーの世界を学ぶ機会があり一年間、学校に通いました。
そこで知ったのは、左半身は#女性エネルギー、右半身は#男性エネルギー
これは、ヨガ、アーユルヴェーダ、オーラソーマなどの世界も同じでした。
また、今私は“心理学” “心理技術” “病気の背景”を学びはじめました。
こちらの世界も同じでした。
私は、左側に乳がんができたので#女性エネルギーということになります。
母との関係性、他人を自分より優先するなど、様々なことが原因で乳がんになったことが心理的原因だったと今になって思います。
小学校低学年まで厳しい母親でした。
完璧主義だし、異常な綺麗好きでした。
そんな風になりたくないなりたくないと思っていた私が、結婚して気づいたのはそんな母と同じ私でした。
また私は、他人とのコミュニケーションにかけていて、組織やグループ行動が苦手でした。
だから、今日の仕事に至っているのだと思います。
振り返れば、
自分でやりたいことが出来、やさしい夫がいて幸せな私でした。
好きなことをやっているだけが本当の私ではないことに今は氣づきはじめました。
それから、3年後子宮全適となりました。
continues・・・